【Moment(s)】『さよなら』について

最後の曲から何か書いていくスタイル。
mixiの日記を読み返したら、26歳の頃に書いた曲らしい。
フレーズはすらすらと生まれ、ただ、
この歌詞が自分から出てきたことについては相当ショックを受けているらしい。

この言葉達は、今となっては「出るべくして出た歌詞」で、
多分この頃から自分のどうしようもない『承認欲求の塊』を、どうにかしたかったんだと思う。知らんけど。

とりあえず1番の歌詞だけで、少しブログを書いていこうと思います。

小さい頃 夢見た そこにはほら 王子様
今はもう そうじゃなく そこには 『痛い』私

自分という存在が何かわからず…って誰もがそうやけども、
「自分はこれでいい」というのがなくて、
でも、それでも「自分はこれでいい」って言ってくれる人がいてくれると信じていた。
でも、自分のやってる行為が『痛い』ことは知っていたんですよね。まるで生き地獄ですな。
まぁ、ココに関しては別の話になるんですけど…「自己肯定感」や「自分をひたすらじっと見る」ってところで落ち着きました。

この歌詞の『夢』は、
あるところで認識が歪んで『夢』→『承認欲求』になったのかなぁ。とか。
いや、『夢』=『承認欲求』かな。
孤独感や心に穴が空いている感じ。
誰かねぇ 私を見て 無意味な 叫び
切実だなぁ。
一番「どうしてほしいか」が出ているフレーズ。
さよなら この私 ここに あぁ 何もないの
さよなら この私 叫びは消える 
ずっと歌の師匠に、事あることに
「放てば手に満てり」
という禅の言葉をよく吹き込まれている(?)のだけども、(悪いように聞こえるけども、結構感謝しているのですよ。)
このフレーズを聴くと、いろんなモノにすがっていても意味がないことは分かってるのよね。でも、手順が分からないというか。

がむしゃらだったんだなぁ。
でも、あの頃、
手を差しのべてくれる人の手を次々と払いのけていたのかなあ。。。


今の環境は、
辛抱強い周りの優しい人達のおかげで、
この曲を作った頃より、遥かに変わってきていて、周りに感謝をしてもしきれない。

だからこそ、この曲が私の中で冷静に、かつ情熱的に表現できたのだと思うのです。


最後の「おはよう」
さよならでおわらせたくないっていうコメントがありました。
まぁ、新しい自分へのあいさつ、ですかね。


というわけで、まとまらないやつですが、そんな感じで続けていきます。

徒然なるSATOMI

ボーカリスト、作詞家、そして写真家でもあるSATOMIのTwitterでは書ききれないことを綴るブログ。

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